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残念ですね

 投稿者:jinjerメール  投稿日:2011年 9月 1日(木)17時54分47秒
  早速のご返事ありがとうございました。造られた時期に疑問を持っている古墳は
上塩冶築山古墳(島根県県出雲市上塩冶町築山)です。縄掛突起も良く似ていま
す。
なぜそれが疑問なのかは、これから私のHPで書いて行く予定です。しかし、順
番から言うとだいぶ後になってしまいます。

http://w312.k.fiw-web.net/hscp/

 
 

残念ながら・・・

 投稿者:管理人より  投稿日:2011年 8月31日(水)20時52分41秒
編集済
  またまたご訪問くださり、ありがとうございます。ビブロス遺跡はバイブルの語源になったほどで、ローマ時代以前の紀元前から十字軍の城砦が残っている紀元後までの数千年に渡る重層遺跡であり、石棺に関しては私も驚いたのでいつの時代のものかはわかりません。ガイドに聞いてもわかりませんでした。あとの時代に持ってこられたのかも知れませんが、私のトルコのパムッカレ編にも石棺の写真がありますし、家型石棺はローマ時代の博物館でも時には展示されています。ただ日本の家型石棺にそっくりなのは私もいつだかはわかりません。参考にならず残念です。
「横穴古墳」と書かれていますが、古墳は墳丘を伴うもので、崖に掘られたものは「横穴墓」といい区別されています。横穴式石室の古墳なのか横穴墓なのか、これではわかりません。言葉は区別して使いたいものです。がんばってください。
 

レバノンの石棺

 投稿者:jinjer  投稿日:2011年 8月28日(日)10時16分33秒
  http://kodaimousoukyou.web.fc2.com/lebanon-1.htm
「日本の古墳時代の石棺そっくりの
物がそのまま置かれているのには
驚かされた。縄掛突起など同じだ」
に私もすっかり驚かされてしまいました。これは何時の時代のものかご
存知でしょうか?

他にも同様な石棺の写真をお持ちでしょうか?

私は日本の横穴古墳の成立年代が大幅に間違っていると考えています。
その証拠を探しています。
よろしくお願いいたします。

http://w312.k.fiw-web.net/hscp/

 

ブログも見てはって!

 投稿者:管理人より  投稿日:2011年 8月22日(月)14時14分29秒
  あ、夏に行った関西旅行の旅もブログの「写真狂人のひとりごと5」で制作中ですう。あやしげな関西弁やけどご覧になっておくれやす。  

「日本神話と日米開戦」を更新

 投稿者:管理人より  投稿日:2011年 8月22日(月)14時04分25秒
  最近やっている(また再々放送?)BSジャパン「池上彰の21世紀を見にいく」の記録映画にあまりにもデタラメな映像が登場するので「日本神話と日米開戦」に書きました。アメリカかどこかの放送をそのまま鵜呑みに放送しているようですが、目立ったところを書いておきました。困ったこっちゃ。NHKには以前に伝えてあり、改善されていますが、民放ではまだ時代遅れ(?)の映像が時々登場しています。  

追伸

 投稿者:ホームページ管理人  投稿日:2011年 8月13日(土)09時23分0秒
  飛鳥池遺跡で出土して間もない頃に書いたHPに、意見を寄せて下さったのはあなたが初めてなのです。とても勉強になりました。日付に関しては考えてみましょう。  

やっぱり「どちらでも」

 投稿者:ホームページ管理人  投稿日:2011年 8月13日(土)09時18分33秒
  考古学のように出土数や出土地域が変わるような流動的な学問については、私は自由に意見を変えても良いと思っています。消火器型埴輪が、太刀型埴輪に名称が変わったり、今の頑固な宮内庁より、天皇陵を変更してくれる明治政府の方が柔軟で好感が持てます。私は学者ではなく楽者(楽しむ者)ですから。
火炎型(水流かも知れない)縄文土器が四国から出土したり、三角縁神獣鏡が中国から出土したら(もう無いでしょうが)私は恥も外聞もなく意見を変えることでしょう。江戸時代の藩主がきちんと本にして意見を後世に残せたとしても、本を出せないような貧乏な反対意見はあったはず。それが記録というもので、海に沈んだ遣唐使は後世に記録されないものです。
現代の収集家は「富夲」をそのまま「フトウ」と読んでいることですし、財産は増える方が良いですからね。本当は面倒でも「富夲(本)銭」と表すべきです。厳密に言えばあれは「富本銭」ではありません。「富夲」と彫られているから。私は解釈的に「フトウ」と呼びますし、そういう少数の一流学者も存在しています。
 

どちらでも

 投稿者:葛の葉メール  投稿日:2011年 8月12日(金)16時28分36秒
  本人は半ば忘れてしまったような内容でも、ホームページには「今」として残ってしまうわけですね。私は、ホームページ上で自分の「意見」に属する記事には、必ず日付を入れるようにしています。その時点で、自分がそう考えたという事実は直しようがないことなので。

ちなみに、江戸時代でも朽木龍橋(福知山藩主)は、「和漢古今泉貨鑑」を著し、富本銭の説明で次のように述べています。

富本の文字皆夲(タウ)に作る 宇野宗明其文字の誤りを知らず返て冨夲(フタウ)と称ず
…近世の俗皆宇野宗明が説によって専ら冨タウと云ものは愚の甚だしきにあらずや

昔から「フトウ」と読むのは不当だという説があったわけですね。

当時の人が「富夲」どう読んだかと言えば「フホン」に近く
今「富夲」をどう読むべきかと言えば「フトウ」で良いのではないでしょうか。

なお、実物の文字を変えてしまうことは釈文の常で、特にパソコンでは表せない文字も多いですね。
 

でもやっぱり「フトウ銭」

 投稿者:ホームページ管理人  投稿日:2011年 8月12日(金)15時31分21秒
  貴重なご指摘、ありがとうございます。10数年ぶりの話題なのでちょっと当惑。ご指摘は全くその通りだと思います。でも「富本銭」にすると実物の文字を変えてしまうわけだし、「フホン銭」の読み方が間違い、というのは私も謝りだと思ったのでHPで訂正しました。「富夲銭」のコレクターは何と江戸時代からいたらしく「ふとうせん」と読んでいたようで「富夲」が「財産が勢い良く増える」という解釈に大いなる魅力を感じるので、今回も新聞やテレビとは一線を画し、私は「ふとうせん」説を採りたいと思っています。
あれは「フトウ」な扱い(?)を受けて「フホン」意な結果になり、日本国中に通貨として広まることはどうもなかったようですね。ご指摘には大いに感謝しています。

 

訂正

 投稿者:葛の葉メール  投稿日:2011年 7月31日(日)17時13分47秒
  記憶違いで、一部誤りを書いてしまいました。

>有名な顔元孫の「干禄字書」はその流れの代表的な著書ですが、そこにはまだ「本」と「夲」は取り上げられていません。

「干禄字書」では「本」を「正」、「夲」を「通」としています。

>9世紀には「五経文字」が国家公認の形で正字の基準を示しますが、そこでもすべて「夲」の字体が用いられています。

これは、唐石経五経文字のことです。
「五経文字」でも、説文解字では「本」現在は楷書で「夲」という記述があります。
唐石経ではその部分が欠けていますが、本文、釈文にすべて「夲」の自体が用いられています。

いずれにせよ、日本では7、8世紀の段階で「本」の自体の使用例はおそらく皆無で、もっぱら「夲」の字体で「本」を表していたようです。
 

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